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2012年12月13日木曜日

翻訳・通訳業界に資格試験制度は必要なのか?

オーストラリアには、政府による翻訳と通訳の資格があります。資格認定は、National Accreditation Authority for Translators and Interpreters(NAATI)という機関が行なっています。

NAATIは、多文化政策の一環として1977年に連邦政府の移民省内に設立されましたが、その後、州からの出資も受けて再編されました。

原則として、連邦および州政府に提出する外国語の証明書類は、NAATIの認定資格を有する翻訳者が翻訳することが求められます。例えば、出生証明書や免許証などです。また、通訳についても、裁判所や病院は、原則として、NAATIの認定資格を有する通訳者を手配することになっています。これは、先住民や移民など、英語を得意としない人でも、政府から同等のサービスが受けられることを保証するためです。

国レベルでこのような制度をもっている国は非常に珍しく、ほとんどの国では、米国のATAや英国のITIなど、業界団体が資格認定試験を行なっているのではないかと思います。米国では州レベルで司法通訳者の資格認定制度があり、ドイツでも、各州で翻訳・通訳の資格試験が実施されているようです。日本にも、日本翻訳連盟(JTF)のほんやく検定、日本翻訳協会(JTA)の翻訳専門職資格試験など数多くの翻訳の資格試験がありますが、資格の有無によって可能となる仕事の内容が左右される性質のものではありません。通訳についても同様だと思います。

翻訳・通訳の資格認定制度の例として、日本でもNAATIが取りあげられることがよくありますが、NAATIも多くの問題をかかえています。

1つは、試験制度自体の問題です。標準的なProfessional Translatorの試験では、3時間の試験を受験するのですが、1回の試験の結果だけで資格を与えることに、どこまで意味があるのかという指摘があります。また、採点者も同レベルのProfessional Translatorが担当しており、その適性が疑われています。また、採点者の評価をどのように行っているのか、採点結果を第三者が客観的にチェックしているのかなど、不透明な部分があります。

また、今年の7月から更新(Revalidation)の制度が始まったのですが、3年に1度更新の手続きを行うこの制度は、2007年以前に資格を取得した人は対象にはならず、今後は無期限の資格をもつ翻訳者・通訳者と、3年ごとに更新が必要になる翻訳者・通訳者が。同じ制度の中に混在することになります。本来、翻訳・通訳の質を維持・向上させるために始まった制度なのですが、厳しく管理される人と、なんの管理も受けない人とが同じ資格を持ち続けることになるため、混乱を招いています。

12月1日~3日にシドニーで行われたAUSITのカンファレンスでは、NSW大学のサンドラ・ヘール教授により、NAATI試験の改革に関する提案について、報告が行われました。NAATIの制度は、試験だけでなく、研修や実習を重視したものに切り替えていくべきであるというのが、報告の骨子になっています。実は、NAATIの資格を新たに取得した人のうち、7割は大学などの翻訳・通訳コースの卒業試験の結果によって認定を受けています。残りの3割のみが試験だけで資格を取得しているので、この人たちに対して、これまでの実務経験などを加味しながら、研修の場を提供していく必要があります。

また、Professional Translator/Interpreterの試験は一般的な内容の試験なので、それ以外に、司法(法律)、医療(医薬)などのより専門的な内容の試験をモジュール的に行なっていく必要もあります。実は、Professional Translatorより1つ上のAdvanced Translatorの試験では、そういった内容の試験も行われているのですが、必須問題も含めて3つの分野ですべて合格点を取る必要があるため、合格が非常に難しい試験になってしまっています。通訳については、1つ上の資格はConference Interpreterになるので、司法や医療などのコミュニティ通訳のニーズには合っていません。 

いろいろと問題点が指摘されているNAATIの制度ですが、私は政府による公認試験があった方が、ないよりはよいのではないかと思っています。完璧な資格試験制度を作り上げるのは難しいでしょうが、少なくとも敷居を設けることにより、翻訳や通訳に誰でもすぐに参入できるものではなくなっており、オーストラリア国内において、最低レベルの品質は保てているのではないかと思います。もちろん、1回の試験のみで認定を受けているので、実際には有資格者のスキルにはムラがあります。

日本でも、トライアルはよかったのに実際に仕事をさせたら酷くて使い物にならなかったなどという話をよく聞きますが、それと同様に、NAATIの資格を持っているからといって、必ずしもいい仕事をするとは限らないことも事実です。それでも、この制度があることによって、翻訳者・通訳者の職業意識が高くなり、(もちろん例外はあるでしょうが)質の面でもある程度は保証されているのではないかと思っています。

翻訳・通訳業界でもグローバル化が進んでおり、また資源ブームによるオーストラリア・ドル高の影響もあって、産業翻訳については、オーストラリア国内の仕事がどんどん海外に流れています。結局、NAATIの資格が必要になるのは、翻訳で言えば証明書や免許証、裁判関連の書類、通訳で言えば司法と医療のみとなってしまっているのかもしれません。1つの国だけで(しかも問題点の多い)資格試験制度を維持していても、あまり意味はないのでしょう。

本来は、世界的に調和を行い、世界共通の資格試験を導入するのが理想なのでしょうが、その場合、これまですでに豊富な実務経験を有する人はどのように扱うのか、すでに資格を有している人のレベルをどのように共通化していくのかなど、多くの課題があります。現在すでに資格なしで実務を行なっている人たちが、自ら進んで資格を取ろうとするとは思えません。

35年という長い年月をかけて構築されてきたNAATIの制度は、確かに問題点は数多くありますが、まだまだ存在価値はあると思います。今後も改善を重ねていくことにより、日本を含む他の国にとっても手本とできるようなものとなり、オーストラリアだけでなく、世界の翻訳・通訳業界の健全な発展に役立っていける存在となっていくことを願って止みません。
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